実演者の権利を守り、地位向上について考えます

お知らせ

売春防止法における公然勧誘罪の拡張と「社会秩序の維持」ー法務省検討会の報告書案(改訂版)についてー

園田 寿(甲南大学名誉教授)

1.はじめに:公然勧誘罪の拡張議論と本稿の目的

 売春防止法(1956年制定)は、第3条で「何人も、売春をし、又はその相手方となつてはならない」としているが、単純な売買春行為自体には罰則を科していない。同法が刑事罰を予定するのは、売春のあっせんや管理、場所提供などの周辺行為(第6条以下)と、第5条が規定する「公衆の目に触れるような方法での勧誘や客待ち(公然勧誘罪)」等(6月以下の拘禁刑又は一万円以下の罰金)に限られている。しかし現行法は、売る側(主として女性)の勧誘・客待ち行為のみを処罰対象とし、買う側(主として男性)の勧誘や交渉行為を処罰対象としておらず、この片面的な処罰構造に対しては以前から不公平だと指摘されてきた。

そして近年、悪質なホストクラブでの多額の借金や過酷な搾取を理由に路上売春へ追い込まれる若年女性が激増し、東京・歌舞伎町のいわゆる「立ちんぼ」として女性ばかりが相次いで逮捕・摘発される事態が社会問題化すると、「女性のみが摘発されるのは不当である」との批判が女性支援団体などから噴出した。このような社会状況を背景に、法務省の「売買春に係る規制の在り方検討会」において売春防止法の見直し議論が進められてきた(法務省:[売買春に係る規制の在り方検討会](https://www.moj.go.jp/keiji1/keiji12_00223.html)。

 今回、同検討会が取りまとめた報告書案([改訂版](https://www.moj.go.jp/content/001470773)では、「買う側」の路上等での勧誘行為について「現行法上の不均衡を是正する必要がある」として新たに罰則を新設することに異論は出なかったとされる。他方で、「売る側」の勧誘等罪については、困難な背景を抱える要支援者が多いことから「非処罰化(罰則全廃)」を求める意見が一部で示されたものの、「こうした行為が社会の風紀を乱さないなどと考えることは困難である」などの理由から、売る側の罰則もそのまま維持すべきだとする意見が大勢を占めた。

 結果として示された方向性は、「売る側の公然勧誘罪を維持したまま、買う側の公然勧誘行為も処罰対象へと拡張する(双方処罰化)」というものであった。しかし、このような「社会の風紀維持」や「平穏な街頭秩序の確保」を理由とする刑事罰の拡張は、近代刑事法における他者危害原則や謙抑性の原理と乖離するだけでなく、現実に働く当事者をより危険な暗がりへと追いやる「ハーム・プロダクション(新たな害の生産)」を引き起こす危険性が極めて高い。

そこで、報告書が示した公然勧誘罪の拡張について、「社会秩序の維持」と刑罰との相性という観点から批判的に検討したいと思う。

2.「社会の風紀維持」を理由とする刑事罰の法的限界

 売春防止法第1条は、本法の目的について「売春が人としての尊厳を害し、性道徳に反し、社会の善良の風俗をみだすものであることに鑑み」と規定している。検討会において売る側の勧誘罪罰則維持の根拠とされた「社会の風紀を乱す」という論理はまさにこの点であり、それは伝統的にリーガル・モラリズム(法的道徳主義)と呼ばれている。

 しかし、近代の自由主義的な考え方においては、国家が刑罰権という最も強権的な手段を使って市民の行動を制約することが許されるのは、「他者危害原則(危害原理)」(ジョン・S・ミル)に基づく場合である。すなわち、刑罰の適用は、原則として他者の権利や利益に対する直接的かつ具体的な危害を防止する場合に限られるのである。成人間での自由な合意に基づく(非公然の)性交渉やその予備的行為(勧誘・客待ち)は、第三者に対する具体的な物理的・財産的危害を加えるものではなく、これらはいわゆる「被害者なき犯罪」の範疇に属する。

 確かに、他者に実害を及ぼさないそのような行為であっても、不特定人の主観的な「不快感」や「嫌悪感」を刺激するような場合はありうる。しかし、一般的に「風紀紊乱」と呼ばれる、そのような不確かな社会的法益を守るために刑事罰を動員することは、刑罰を真に必要な最小限に留めるべきとする「刑罰の謙抑性(補充性)」に正面から反するおそれがある。

 刑事法による秩序維持は「最後の手段(伝家の宝刀)」であるべきであり、路上における著しいつきまといや通行妨害といった具体的な迷惑行為があるのであれば、売春防止法という特別な刑事罰を拡張せずとも、軽犯罪法(第1条28号)や各地の都道府県自治体が定める「迷惑防止条例」などの一般行政法的な枠組みで十分に対処が可能である。抽象的な「風紀」の維持を口実に刑罰権を安易に拡張することは、国家による道徳の過剰介入を正当化する極めて危うい可能性を開くものである。

3.現行刑法における社会秩序の維持

 確かに、現行刑法には公然わいせつ罪やわいせつ物頒布等罪、賭博罪など、社会風俗を直接・間接の規律対象とする条文は存在する。これらの風俗規制は、いかなる理由で許容されているのだろうか。

 この点について近代刑事法学は、保護法益の観念を「抽象的な性道徳や国家秩序の維持」から「市民の客観的・実質的な生活環境の保護」へと読み替える解釈論的な努力を重ねてきた。かつて判例は、わいせつ罪の保護法益を「最小限度の性道徳」や「性行為の非公然性」という観念的秩序に求めていたが、学説では、自己の意思に反して不快な性的表現を見させられない権利(とらわれた観衆の保護)や、公衆の平穏な生活環境を害する「ニューサンス(公害・迷惑行為)」の排除という侵害原理への還元が進められている。

 ここで重要なことは、「私的領域の自律」と「公然性」の区別である。合意した成人間で密かに行われる行為は、他者への具体的な危害を欠く以上、国家が刑罰をもって踏み込むべきではない。わが国の売春防止法が、当事者間の合意に基づく単純売春行為それ自体には罰則を設けず、公衆の目に触れる公然の勧誘や、第三者による搾取・管理売春のみを厳罰化している構造は、まさにこの法理を端的に示している。さらに、風俗の乱れに対する統制手法としては、刑罰を直ちに科すよりも、風営法のように営業時間や営業区域のゾーニング、許可制といった行政警察的手法を用いるほうが、人権保障と特に実効性との両面において圧倒的に優れている。刑罰は、そうした行政的枠組みや命令に著しく違反し、実質的な社会被害を惹起した場合の最終的な手段としてのみ控えめに用いるべきである。

 刑法は、国民に高い倫理観を示し、品行方正を強いるための「道徳の教師」であってはならない。刑罰は、多様な価値観を持つ人びとが互いの自律と権利を侵害することなく社会に共存するための「最低限のルールを守るため」にある。健全な社会風俗の維持や道徳の涵養は、本来、教育や文化、そして共同体内部の自律的コミュニケーションといった、非権力的な社会的機能に委ねられるべき領域である。国家が安易に刑罰という威嚇を使って倫理の監視と強化を図るならば、社会には閉塞感がまん延し、法の正統性そのものが損なわれることになる。刑罰が風俗に関与しうるのは、それが単なる「不道徳」にとどまらず、(刑法典に規定されている各種の未遂罪のように)不特定多数の生活環境に対する実質的侵害、未成年者保護の侵害、あるいは組織的搾取という具体的で現実的な加害に直結する局面のみである。この謙抑的な限界線を堅持することこそが、自由主義的法治国家において個人の尊厳を守り抜くための必須の要件なのである。

4.公然勧誘罪の拡張がもたらす「ハーム・プロダクション」

 検討会報告書案が提示した「双方処罰化による公然勧誘罪の拡張」は、一見すると買春側の処罰を設けることで「不均衡」を是正し、街頭の風紀を正すかのように映る。しかし、この方向性は社会秩序を安定させるどころか、現場の当事者をより致命的な危険へと追い詰める「ハーム・プロダクション」を引き起こす危険性が強い。

 第一に、そのような方向性は、「売る側の罰則維持」が引き起こす(売る側に対する)保護・支援を阻害する可能性がある。売る側の勧誘罪が維持される限り、路上に立つ当事者女性たちは警察の取締対象(潜在的被疑者)であることに変わりはない。つまり、「困難な女性への福祉的支援」を訴えたところで、当事者にとっては警察や行政への接近自体が逮捕や摘発につながるため、真に支援を必要とする社会的困窮層がセーフティネットから完全に遮断されるのである。

 第二に、それは、「買う側の勧誘処罰新設」が引き起こすアングラ化と暴力被害の激増につながる可能性がある。買う側の勧誘行為を刑事罰の対象に加えると、逮捕を恐れた客(買春行為)は路上から即座に撤退し、警察の目が届かない密室(個人のアパート)や暗がり、匿名性の高いオンライン空間(アンダーグラウンドな掲示板等)へと売買春の場を移行させおそれがある。つまり、売買春が地下化すると、売る側の女性は客の素性や危険性を事前に見極める時間的・空間的余裕を奪われるのである(避妊具不使用の強要、暴力のリスクなど)。この点で参考になるのは、2013年にカナダ最高裁が全員一致で下した「[ベッドフォード判決](https://swanvancouver.ca/resource/bedford-v-canada/)」である。同判決は、客引きや売春宿の規制といった周辺行為の刑事罰が、当事者の安全確保の手段を不当に奪い憲法上の「身体の安全」の権利を侵害しているとして違憲だと判示した。

 第三に、それは、表面的な排除による治安の悪化につながるおそれがある。路上から当事者を刑事罰で排除したところで、彼女たちが売春を選択せざるを得ない根本的要因(貧困、虐待、精神的障害、孤立など)が解消されない限り、交渉の場が視界から消えるだけで問題は潜伏し、地下化するに過ぎない。当事者が警察を過剰に回避するようになれば、実際に暴力や恐喝、売上金の強奪などの被害に遭っても警察に通報できなくなる。「街頭の風紀」という表面的な美観を守るために刑罰を使うことは、根本的な解決にはなりえないのである。

5.結び:社会秩序の維持と刑罰の相性

 以上の考察から明らかなように、「抽象的な社会風紀の維持」や「不均衡の解消」を理由として売春防止法における公然勧誘罪を双方処罰化へ拡張することは、法的にも実際上も多くの問題を孕むものである。

 「風紀を乱すから処罰を維持・新設する」という法務省検討会報告書案の方向性は、他者危害原則や刑罰の謙抑性という近代刑法の鉄則を軽視し、刑罰権の無反省な拡大を容認するものである。そして何より、その過剰規制は当事者を社会福祉や司法から切り離し、暴力と過酷な搾取が横行する地下空間へと突き落とす「ハーム・プロダクション」となる可能性が強い。

 不均衡の是正を主張するのであれば、道徳や風紀の維持・強化を理由とした刑事罰の縮小、つまり「買う側の処罰新設」ではなく、「売る側の勧誘罪(第5条)の撤廃」である。路上における具体的な迷惑行為に対しては軽犯罪法や自治体条例等の一般行政法規制など、より緩やかな規制に委ねるべきである。そして、成人間の合意に基づく性交渉を刑罰の枠組みから外す非犯罪化へと舵を切ることが求められる。

 刑罰による摘発と排除ではなく、困難な状況にある女性たちに対する実質的な生活・住居・福祉支援を拡充すること、そして安全な労働環境を保障することこそが正しい道筋である。(了)

PAGE TOP