園田 寿(甲南大学名誉教授)
19世紀末から第一次世界大戦の開幕頃にかけて、純潔な白人女性が邪悪な外国人や売春斡旋業者に騙されて都市の売春宿に監禁され、意思に反して性的搾取を受けているという「都市伝説」が、アメリカ社会を激しく揺さぶった。後に、これは「白人奴隷(white slavery)」パニックと呼ばれている。
この現象は1907年頃から過熱し、演劇や映画などで何度も描かれ、道徳改革運動の一大潮流を形成した。しかし、そこで語られた「被害」の実態は曖昧であり、「誘拐」と「貧困による自発的売春」のあいだの境界線は恣意的に引き直され続けた。
物語の骨格は古い。
「インディアンに拉致される白人女性のはなし」と、19世紀の通俗小説が好んだ「無垢な娘を誘惑する悪漢の物語」という伝統的なジャンルが、近代都市という新たな舞台を背景に白人奴隷の物語に生まれ変わった。攻撃すべき対象が「野蛮なインディアン」から「東欧系ユダヤ人の売春ブローカー」や「フランス人マダム」へと衣替えし、被害者は「フロンティアの入植者の妻」から「地方の農村から職を求めて上京した純朴な少女」へと塗り替えられた。構図の本質は変わらない。純潔な白人女性が、「外部」からの他者によって脅かされているという物語である。
改革者たちは自らの主張を「新たな奴隷制廃止運動」と呼び、かつての黒人解放運動の道義的権威を借用した。しかし、その実践は正反対の方向を向いていた。例えばキリスト教婦人矯風会(WCTU)は白人奴隷の脅威を女性参政権の根拠として活用しながら、南部における黒人男性へのリンチを容認し、アフリカ系アメリカ人女性が過去に受けてきた性暴力には目を向けなかった。カラーラインを越えた性的接触への恐怖が、パニックの根底に流れていたのである。
パニックが残した制度的遺産は重い。
1910年に下院議員James Robert Mannの名前を取った「マン法」(The Mann Act, White-Slave Traffic Act of 1910)が制定されたが、この法律は、女性の「不道徳な目的」での州境越え移送を連邦犯罪とし、司法省調査局(後のFBI)の権限を飛躍的に拡大させた。「白人奴隷部門」と名付けられた組織が全米の売春宿を調査し、連邦権力による市民の性行動の監視という前例が確立された。道徳を冠した国家の眼は、その後も長く残り続けた。
結局、白人奴隷パニックとは、急速な都市化・工業化・移民流入という変動期に、内側に留まるべき「文明的なアメリカ人」と、「性的捕食者」として外側へ排除される者の線引きであった。セクシュアリティの統制が人種秩序の維持と不可分に絡み合ったとき、道徳改革の言葉はいかに容易に支配の道具へと転じるかという警告であったのである。(了)