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売買春と刑罰

園田 寿(甲南大学名誉教授)

はじめに

 最近、タイ国籍の少女(12歳)が多数の客に買春された事件が大きな問題となった。これは児童買春という典型的な犯罪であるが、この事件を契機として、成人間の売買春において買う側(買春)が処罰されない現行法の不備に対する社会的批判が高まった。

 2025年11月の衆議院予算委員会では、高市首相が買春の相手方を罰する可能性について法務大臣に検討を指示し、法務省内に「売買春に係る規制の在り方検討会」が設置された。

 わが国における売買春と刑罰の関係は、歴史的な背景と保護主義的な法理念に基づいて組み立てられており、国際的な法規制の潮流とも密接に関連しながら、現在大きな転換点を迎えている。

1.わが国における売買春と刑罰の基本的関係

1-1. 売春防止法における「罰則なき禁止」と周辺行為の処罰

 わが国の現行法体系において、成人間の売買春に関する基本法となるのは1956年に制定された売春防止法である。同法第3条は「何人も、売春をし、又はその相手方となってはならない」と規定し、売る側(売春)と買う側(買春)の双方の行為を法的に禁止している。しかし、成人間の単純な売買春行為そのものに対しては刑事罰が設けられていない。この「罰則なき禁止」の背景には、売春を行う女性を処罰すべき犯罪者としてではなく、経済的困窮などの社会的要因による「犠牲者」あるいは「保護更生の対象」として捉える立法趣旨が存在する。

 他方、同法は売買春を助長・搾取する行為に対しては厳格な刑事罰を規定している。公衆の目に触れる方法での勧誘や客待ち(第5条)、売春の周旋(あっせん)(第6条)、困惑等による売春の強要(第7条)、場所の提供(第11条)、および管理売春(第12条)などが処罰の対象となる。ここで問題となるのは、処罰の対象がもっぱら「売る側」や「業者側」に偏重しており、「買う側」に対する直接的な処罰規定が存在しないという法的な不均衡である。現在、買春処罰論で問題になっているのは、まさにこの点である。

1-2. 児童買春に対する刑罰の厳格化

 成人間の売買春とは対照的に、タイ国籍の少女のケースのように、相手が18歳未満の児童である場合は、「児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律(児童買春・ポルノ禁止法)」によって厳格に処罰される。児童買春をおこなった者は、5年以下の拘禁刑または300万円以下の罰金に処される。この児童買春罪においては、児童側の合意の有無は問われない。

 しかし、この場合において加害者を処罰するためには「相手が18歳未満であることの認識(故意)」が必要である。一般人が客観的に問題なく児童と判別できる状況であれば別だが、加害者が「成人だと思っていた」と弁明することで処罰を免れるケースが指摘されており、実務上には故意の立証の困難さが課題となっている。

1-3. 買春者処罰を巡る国際的潮流と論点

 売買春と刑罰の関係については、国際的にも激しい論争が展開されている。主に以下の2つのアプローチが対立している。

 第一は、北欧モデルと呼ばれる考え方である。これは、1999年にスウェーデンで導入され、その後ノルウェー、フランス、アイルランドなどに波及したものだが、基本的に性売買を女性に対する構造的な暴力や搾取と見なす立場である。このアプローチでは、性を売る側を非犯罪化して支援の対象とする一方で、性を買う側(買春者)や斡旋業者を処罰することで、需要を根絶し性産業を縮小させることを目的としている。

 第二は、完全非犯罪化モデルである。ニュージーランドなどで採用されている完全非犯罪化モデルは、成人間の合意に基づく性売買に関わる全ての行為(売る側、買う側、第三者)から刑事罰を撤廃する考え方である。国際人権団体やセックスワーカーの団体などは、北欧モデルによる買春者の処罰が、結果として性売買を地下化させ、労働環境を孤立・危険化し、セックスワーカーにとって警察の保護や医療へのアクセスが困難になることで、かえって暴力や搾取のリスクを高めると強く批判し、非犯罪化を支持している。

2.AV新法と買春処罰における議論の比較

 このような買春処罰の議論は、いわゆるAV新法の制定過程における議論と構造的な類似性が見られる。AV新法とは、年齢や性別を問わずAV出演被害の防止と救済を目的として2022年に制定された法律である。その制定過程とその結果生じた現実的な問題は、買春処罰化の議論においても参考なる点が多い。

2-1. 当事者不在の密室での議論

 AV新法は、出演強要などの被害を防ぐ目的で制定されたが、実際に働く女優や制作現場の意見に耳を傾けることなく、法案提出から成立までわずか1ヶ月半という異例の速さで可決された。現在進められている買春処罰化の議論においても、法務省の会議に実際に働く風俗嬢や性風俗業者といった当事者が呼ばれる見込みは薄い。このようないわば「密室の議論」は、政策立案の場から当事者が排除されることになり、民主的な意思決定とは言えず、現場の実情にそぐわない偏った法規制を生み出す危険性が高い。

2-2. パターナリズムに基づく「被害者」像の押し付けと自己決定権の侵害

 AV新法と買春処罰論の背景には、「AV女優=無理やり出演させられている被害者」、「売春する女性=強制的に性を売らされている社会の犠牲者」と一律に見なす偏見(スティグマ)の存在が疑われる。

 確かに、そのようなケースがあることは否定しない。しかし現実には、多様な理由から自らの意思で性産業を職業として選択し、高収入を得るために働いている女性も多く存在する。国家が当事者を一律に「救済されるべき保護の対象」として固定化することは、労働者としての女性の主体性を無視し、パターナリズム(父権的保護主義)によって個人の職業選択の自由や自己決定権を侵害するものであると批判されている。

2-3. 過剰規制がもたらす市場の「地下化」と当事者の安全性低下

 最も深刻な懸念は、規制によってかえって当事者の安全や生活基盤が脅かされるという逆説的な実害である。

 AV新法では、長期間の公表禁止や無条件の契約解除といった制作側への重い負担により、適正なメーカーの制作本数が減少し、女優の収入機会が奪われた。結果として、法令を遵守しない「同人AV」の増加や、より危険を伴う海外への出稼ぎ売春といったグレーな地下市場へ出演者が流出する事態を招いた。

 買春処罰化においても同様の事態が予測される。

 買う側が罰せられることで風俗店の客が減少し、女性の収入が断たれるだけでなく、摘発を恐れる客や業者がSNS等による非合法な手段に移行し、売買春が地下に潜る危険性がある。そして、市場が地下化すれば、逮捕リスクを顧みない悪質な客層が残り、女性に対して避妊具の不使用などの無理な行為の強要、過度な値下げといった理不尽な要求や暴力が増加し、女性側が泣き寝入りを強いられる危険性が著しく高まるのである。

 また、AV新法は、法令を遵守しようとするメーカーに膨大な事務的・人的・金銭的負担を強いて疲弊させ、業界の先細りという結果をもたらしたが、買春処罰についても、同じような事態が予想されるのである。

3.まとめ

 抽象的な「保護」や「人としての尊厳」、「性道徳」などを名目に国家が強力な刑罰権をもって市場に介入することは、結果として当事者の労働環境を破壊し、そこで働く者たちをより危険で孤立した状況へと追いやるおそれがある。真の被害防止と人権擁護を実現するためには、密室での拙速な決定を排し、現場で働く当事者を「労働者」として政策提言のテーブルに着かせ、その現実的な声とニーズを制度設計に反映させることが不可欠である。

 刑罰を用いた性需要の抑制と、当事者の人権・安全の確保をいかに両立させるかが、今後の法改正における最大の課題といえる。この点を検討会でもしっかりと議論してほしいと願うのである。(了)

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