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委員による意見・提言等

 日本版DBS、本当に大丈夫か

園田寿(甲南大学名誉教授)


 <はじめに>
 日本版DBS法(「学校設置者等及び民間教育保育等事業者による児童対象性暴力等の防止等のための措置に関する法律」)は、児童に対する性犯罪を防止する目的で2024年6月に成立し、2026年の施行に向けて現在準備が進められている。
 これは、イギリスのDBS制度(Disclosure and Barring Service)を参考に、性犯罪歴のある者が学校、幼稚園、保育所などの教育・保育関係の職業に就くことを制限する仕組みである。一言でいえば、性犯罪前科を将来の性犯罪の予防に利用しようとする制度である。
 子どもを性犯罪から守ることは、もちろん重要なことである。しかし、そのために性犯罪前科を利用して、それを排除の基準にすることは安易なやり方であるし、何よりもわれわれの社会を悪い方向に大きく変えてしまうのである。そもそも初犯再犯にかかわらず、教育現場で性犯罪が起きないような工夫をすべきである。

1.制度の基本的な仕組み

(1)教育保育関係の職業への新規就労希望者への適用

 教育保育関係の職業への就職希望者は、こども家庭庁に戸籍情報を提出し、就労希望先(事業者)は同庁に前科の確認申請を行う。前科があれば本人に「犯罪事実確認書」が通知される。そして、本人が2週間以内に辞退すれば、事業者に情報は伝えられない。

(2)現職者への適用

 現職者にも適用されることが、本制度の一つの大きな問題点である。現職者に対しては、施行から3年以内の政令で定める日までに性犯罪歴の確認が必要である。
性犯罪歴が確認された場合、子ども家庭庁から本人を飛び越えて直接事業者に「犯罪事実確認書」が伝えられ、事業者は配置転換や退職処分などの措置をとることが許容される。
 また、一度照会された従業員も、5年ごとに定期的な前科照会が義務付けられている。

(3)対象職種と範囲

 当面は学校、幼稚園、保育所などが対象だが、塾やスポーツクラブなどは任意の認定制度が予定されているが、認定は競争上有利なため、事実上の強制となる。
 「児童」とは、18歳未満すべてを指し、高校生や中卒で働く者も含まれる。職種に(児童との関係において)「継続性」、「支配性」、「閉鎖性」の3要件があれば日本版DBSの対象となりうるという政府答弁により、たとえば小児科医や産婦人科医など広範な職種への拡大が懸念されている。

(4)対象性犯罪

 刑法上の性犯罪(不同意わいせつ罪、不同意性交罪など)が基本であるが、さらに痴漢などの迷惑防止条例違反、児童買春・ポルノ法違反、リベンジポルノ法違反なども対象とされている。
 審議の過程では、下着窃盗やストーカー行為、起訴猶予事案なども含ませるべきだとの意見が出ているが、法律では刑事裁判で判決が確定した場合に限定されている。

(5)照会期間

 拘禁刑の場合は執行終了から20年、執行猶予付き判決や罰金刑の場合は執行終了から10年まで遡って、前科照会が行われる。

2.主な問題点と懸念
 子どもを性犯罪から守ることはもちろん重要な課題であるが、本制度に対しては多くの本質的な問題が指摘されており、十分に議論されたとはいいがたい。

(1)初犯対策としての限界

 実は、教育現場の性犯罪の大半は前科のない「初犯」によるものである。したがって、前科情報を基にする日本版DBSは、これらの犯罪防止にまったく無力である。
 最近、社会を震撼させた、複数の小学校教員による児童盗撮事件の被疑者らにも性犯罪の前科はない。日本版DBSが機能していたとしても、この事件を防ぐことはできなかった。

(2)「刑の消滅」制度との調整

 刑法には、犯罪者の社会復帰を促すための「刑の消滅」(刑法第34条の2)という大原則があるが、日本版DBSは前科情報を最長20年間参照可能としているところから、更生の機会を阻害する危険性がある。この点についての法務省の説明は不十分だ。

(3)個人情報の民間流出

 前科情報は極めて重要な個人情報であり、従来国が厳格に管理して民間にこれが流れることはなかった。日本版DBSはこの原則を根本から変えるものであり、情報漏洩リスクが懸念される(ただし、漏洩防止の罰則規定は設けられている)。

(4)えん罪被害者の問題

 痴漢など迷惑防止条例違反も対象となるため、無実にもかかわらず示談や罰金で済ませた「えん罪」の被害者が、ある日突然「性犯罪者」との烙印を押され、職を失う可能性がある。かれらに名誉回復の手立ては絶望的である。このえん罪の問題については、驚くべきことに国会審議の過程では一言も議論されなかった。
 現在、保育や教育機関で働く者は、塾やスポーツクラブなどを含めると、400万人を超えるといわれている。痴漢えん罪は大きな社会問題となっていることから、この中には相当な数の痴漢えん罪被害者がいるものと推測される。

(5)再犯率に関する誤解

 「再犯率」とは、一度罪を犯した者が再び罪を犯すリスクであるが、これを割り出そうとすれば、期間をどれくらいにするかとか、対象犯罪をどうするかなど、さまざまな前提条件の設定が必要である。逆にいえば、条件設定によって数字が大きく変わるため、そもそもわが国に「再犯率」なるデータは存在しないのである。
 そこで「再犯率」の代わりに「再入率」(刑務所を出所した者が再び刑務所に戻ってくる割合)のデータが使われるが、法務省のデータによると、性犯罪者の2年以内の「再入率」は出所者全体よりかなり低く、そこから性犯罪者の  「再犯率」が高いとは必ずしも言えないとされている。客観的なエビデンスに基づく冷静な議論が求められるのである。

(6)「過剰包摂」と「粗雑なプロファイリング」

 日本版DBSの対象範囲は広く、個別の再犯リスクが考慮されない「過剰包摂」が生じやすい。たとえば配偶者に対する不同意性交罪や不同意わいせつ罪で有罪になった者を教育現場から排除することと、子どもを性犯罪から守ることはどう関係するのだろうか。前科記録のみを参照するため、詳細な経緯やリスク分析ができず、「粗雑なプロファイリング」につながる可能性も指摘されているのである。

(7)社会全体の混乱と拡大の恐れ

 現職者への適用や職域・性犯罪定義の拡大が続けば、社会の広範な職種に性犯罪歴チェックが浸透し、大きな社会的混乱を招く可能性がある。
 例えば、「児童」とは18歳未満の者であるが、児童との関係性において、当該職場に「継続性」、「支配性」、「閉鎖性」が認められれば、日本版DBSの適用対象となる可能性はある。具体的には、高校生などがアルバイトとして働くレストランやコンビニなどにも前科チェックが広がる可能性がある。

(8)刑罰制度との不調和

 本年(2025年)6月より、従来の懲役と禁錮の区別は廃止されて拘禁刑に一本化されている。これは、受刑者の改善更生を目指した新しい行刑制度である。性犯罪前科を将来の犯罪予防に使う日本版DBSは、この受刑者の改善・更生を目的とする近年の刑罰政策と調和しない。

3.今後の課題

 単純に前科による選別ではなく、初犯であれ再犯であれ、性犯罪そのものが起きにくい環境づくりに社会全体で知恵を絞るべきである。
 日本版DBSに情報漏洩防止のための罰則規定や目的外利用の禁止など、詳細な情報管理規定は整備されているが、個人情報保護委員会の継続的な関与が必要である。対象者の権利保障として「訂正請求」などの配慮もなされているが、とくに痴漢えん罪被害者には訂正は絶望的である。
 日本版DBS法は子どもの安全確保と、性犯罪者の社会復帰・プライバシー保護という相反する要請を抱えており、これらが十分に議論されたとは到底思えない。このような制度を現実のものとして本当に良いのだろうか。(了)

★(文献)
● 2026年以降に多くの人たちが屈辱的に職場を追われることになるかもしれない(園田寿) – エキスパート – Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/51f84d8232d977f48609ff978d9706cec4bfb1a0
●やはり「日本版DBS」は間違っていると思う(追記あり)(園田寿) – エキスパート – Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/07a577dab035517da7dd8b616eeaa4b0f303db9d
●前科で人を選別する仕組み(園田寿) – エキスパート – Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/1ef4651e4b6226bdcc50d70f3b021d28772c0a7f
●「日本版DBS」にいてぜひ考えてほしいこと(園田寿) – エキスパート – Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/3779e229684b966ca35da8af8fec118dc493e069
●特集 日本版DBS法、ジュリストNo.1604(2024年12月号)、47頁以下、

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