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臓器売買禁止と売買春合法化の論理   ―議論の整理のために—

園田 寿(甲南大学名誉教授)

―目次―

1.はじめに

2.臓器売買の禁止と「身体の商品化」批判

3.北欧モデルとニュージーランド・モデルについて

 3-1 北欧モデル

 3-2 ニュージーランド・モデル

4.臓器売買と性売買は同一問題:廃止論

5.臓器売買と性売買は別問題①:身体的性質の差異と労働権の保障

6.臓器売買と性売買は別問題②:ハームリダクション

7.日本における買春処罰化の議論と法体系の課題

8.まとめ

1.はじめに

 今日、臓器売買は国際的にも国内的にも重大な犯罪として処罰の対象とされているが、その一方で、売買春に対する法的な考え方は、ニュージーランドなどのような完全な非犯罪化(合法化)から、スウェーデンに代表される需要側(買春者)の厳格な処罰(北欧モデル)まで大きく分かれており、国際社会において激しい論争が続いている。

 「臓器売買の厳格な禁止・犯罪化」と「売買春の許容・合法化(非犯罪化)」という、ともに人の身体を取引対象とするという意味では同一の問題に対する一見して異なる二つの政策は、論理的に矛盾するのだろうか。

2.臓器売買の禁止と「身体の商品化」批判

 臓器売買は、国際法では明確に重大な人権侵害および国際犯罪として位置づけられている。2000年に国連で採択された「国際組織犯罪防止条約」の付属議定書である「人身取引議定書(パレルモ議定書)」において、人身取引の定義における「搾取」の形態として、「強制的な労働」や「他人の売春からの搾取その他の形態の性的搾取」と並んで、「臓器の摘出」が明記されている(第 3 条(a))。個人の貧困や脆弱な立場に乗じて同意を取り付け、金銭的利益を媒介にして他者の身体から不当に暴利を得る行為は、国際社会において犯罪化と厳正な処罰が義務付けられているのである。

 日本でも臓器売買は厳しく規制されている。日本における臓器売買の規制体系は、1997年に施行された「臓器の移植に関する法律」(以下、臓器移植法)を中核として、厳格な禁止主義が採用されている。人間の身体の一部を「財産上の利益」を得るための交換手段とすることが、公序良俗および生命倫理の観点から断固として拒絶されている(同法第 11 条)。

 また、同法には「国外犯規定」(第 20 条 2 項)があり、日本国民が移植ツーリズム等の名目で海外へ渡航し、現地で不正な臓器取引に関与した場合でも、日本の刑罰権は及ぶ。近年の臓器不足を背景とした国際的な臓器密売ネットワークへの対策として、属人主義に基づくこの規定は実務上も重要な意義を持っている。

 このように臓器売買が重大な犯罪として処罰されている根拠は、それが金銭を媒介として売り買いされるという「身体の商品化」そのものに対する根源的な忌避に根ざしている。この規範的感覚は、「人格はたとえ当事者自身の合意であっても侵すことは許されない」とする人権感覚や人権の理念に深く通じるものである。貧困や負債に苦しむ者が、金銭と引き換えに自らの自由意思で臓器を提供することに同意したとしても、国家や社会はそのような金銭取引を有効な契約として保護することはなく、人間の尊厳を根底から否定する行為として禁止し、処罰の対象とする。銃や麻薬の違法な供給が、人間の生命や健康を危険にさらすがゆえに厳しく規制されるのと同様に、人間の生命と健康の基盤そのものである臓器を他の一般的な商品と同列に扱い、自由市場での経済取引に委ねることは決して許されないのである。このことは立場を超えて無条件に承認されている。

3.北欧モデルとニュージーランド・モデルについて

 他方、性売買をめぐる刑事政策においては、対照的な二つの潮流がある。スウェーデンを端緒とする「北欧モデル」と、ニュージーランドで採用されている「非犯罪化モデル」である。これらは共に、性労働者の人権保護を使命としながらも、その達成のための法的アプローチにおいて決定的な違いがある。

3-1 北欧モデル

 スウェーデンにおいて1999 年に世界で初めて導入された「買春処罰モデル(北欧モデル)」は、性売買を「性労働」ではなく、女性に対する暴力およびジェンダー不平等の帰結として捉える刑事政策である。ニュージーランドの非犯罪化モデルとは対照的に、本モデルは供給側(売春婦・売春夫)を保護しつつ、需要側(買春客)を処罰することで、市場そのものを縮小・消滅させることを目的としている。

 スウェーデンの「女性に対する暴力に関する法」の一環として制定されたこのモデルの核心は、性売買における刑事責任の非対称性にある。性売買は「常に優位な立場にある買い手による、脆弱な立場にある売り手への搾取」と定義される。したがって、性の「売り手」は「犯罪の被害者」とみなされ、その行為自体について刑事罰を問われない。他方、性的なサービスを金銭等で提供させる者(買い手)は、たとえ相手が同意していたとしても、一律に刑事罰(罰金または自由刑)の対象となるのである。

この政策の背後には、急進的フェミニズムの理論が反映されている。すなわち、性産業の存在自体が社会全体の女性の地位を低め、ジェンダー平等の達成を阻害するという認識である。そのため、単なる公衆衛生の管理や治安維持を超えて、「性売買のない社会」という規範的な目標が掲げられている。スウェーデン政府は刑事罰の導入と並行して、性売買からの脱却を希望する者への社会復帰支援や、国民に対する教育・啓発活動をパッケージとして展開しており、これがこのモデルの有効性を支える仕組みとなっている。

 しかし、この政策の導入後の評価については、議論が分かれている。スウェーデン政府の調査報告(2010年など)によれば、街頭での売春は劇的に減少し、近隣諸国に比べて人身売買の標的になりにくい環境が構築されたと主張されている。しかし他方で、インターネットを介した売買春が地下化し、警察や支援団体が被害者に接触しにくくなったという批判も見られる。また、買い手のみを処罰することで、売り手がよりリスクの高い客や場所を選ばざるを得なくなり、結果として安全性が損なわれているという指摘も、国際人権団体などからなされている。

 それにもかかわらず、この北欧モデルは21世紀に入り、国際的な潮流の一つとして勢いを増している。ノルウェー、アイスランド、カナダ、フランス、アイルランド、そしてイスラエルといった国々が、スウェーデンに倣って需要側を罰する法体系を採用した。これらの国々では、性売買を個人の自由な選択とする「リベラルな見解」と、構造的な搾取とみなす「北欧モデル的見解」との間で、現在も激しい論争が続いている。

3-2 ニュージーランド・モデル

 他方、ニュージーランドで2003年に制定された「売春改革法(Prostitution Reform Act 2003)」は、性風俗産業を刑事罰の対象から外し、公衆衛生、人権、および労働安全の観点から法的に管理・規制する非犯罪化モデルの先駆けである。

 2003年以前のニュージーランドでは、1961年刑法や1981年要保護者法によって、街頭での客待ちや売春宿の経営といった性風俗に関わる多くの行為が犯罪とされていた。しかし、刑事罰による抑止は実効性に乏しく、むしろ性労働者を地下に潜らせることで、暴力被害の潜在化や公衆衛生上のリスク、警察腐敗を招いているとの批判が強まった。

 こうした状況を打破するため、労働党政権下の2003年、激しい議論のすえに本法が成立した。同法の第一の目的は、性労働者の人権を保護し、暴力や搾取からの安全を確保することにある。さらに、公衆衛生の増進や、未成年者が性産業に関与することを厳格に防ぐことにも主眼に置かれた。

 本法の最大の特徴は、性売買そのものを犯罪リストから削除した点にある。これは、特定の条件下でのみ許可する限定的な合法化とは異なり、性風俗産業を他の一般的な産業と同様の法的枠組みの中に位置づけるアプローチである。具体的には、性労働者は個人事業主として、あるいは売春宿の従業員として働くことが認められ、労働法、健康安全法、および消費者保護法の適用を受ける。売春宿の経営にはライセンスが必要とされるが、これは警察による厳重なチェックを伴い、重大な犯罪歴のある者の参入を排除する仕組みとなっている。また、本法は「性的同意」と「自己決定権」を重視しており、性労働者はいつでもサービスを拒否する権利、および避妊具の使用を要求する法的権利を有し、これに違反する顧客や雇用主は刑事罰の対象となる。

 非犯罪化を進める一方で、本法は未成年者(18歳未満)の関与に対しては極めて厳しい姿勢を維持している。18歳未満の者に性風俗を営ませること、および18歳未満の者からサービスを受けることは重罪であり、これらは依然として刑事罰の対象である。また、人身売買や強要、搾取的な雇用形態に対しても、厳格な罰則規定が維持されている。

 法の施行後、ニュージーランド政府が設置した「売春法審査委員会(PLRC)」の調査報告(2008年)によれば、同法は性労働者の安全確保において一定の成果を上げたと評価されている。具体的には、警察との信頼関係の向上、暴力被害の報告件数の増加、および性労働者間の相互扶助組織の強化が確認された。他方で、街頭での客待ちを巡る地域住民との摩擦や、法的な保護が及びにくい小規模な個人経営者の孤立といった課題も指摘されている。ニュージーランドのモデルは、性労働を「道徳的罪」や「犯罪」としてではなく、「労働」と「福祉」の文脈で再定義した点において画期的であり、現在も北欧モデル(需要側への刑事罰)と対比されている。

4.臓器売買と性売買は同一問題:廃止論

 身体や性の「商品化」を根源的な人権侵害と見なす廃止論(フェミニスト・アボリショニズム)の立場からは、臓器売買を犯罪化する論理は、そのまま売買春の禁止・処罰の根拠へとつながる。この見解の根底には、「性は人格の核心に深く結びついたものであり、労働力やサービスとして身体から切り離して商品化することはできない」という「性=人格論」の認識がある。性を金銭で取引することは、人間の身体や人格そのものを取引対象とすることであり、相手の主体性を排して「モノ化(対象化)」する暴力に他ならないとされる。

 法的な文脈においても、この問題はリーガルモラリズム(法道徳主義)やパターナリズムの文脈で論じられている。日本の売春防止法第1条が「売春が人としての尊厳を害し、性道徳に反」することを規制目的に挙げている以上、金銭で人の性を買う行為を道徳的観点から処罰することは一定の正当化の余地を持ちうるとされる。つまり、買春という行為は、当事者間に同意があったとしても、金銭的優位性を用いて相手の抵抗を排除し、他者を自己の支配下に置くことによって快楽を得ようとする行為であり、そこを「悪」とみなす倫理的な根本が存在するのである。

 パレルモ議定書においても「性的搾取」と「臓器の摘出」は同列の重大な搾取形態として並置されている。この枠組みに立てば、他者の身体の一部を買い取る臓器売買を人間の尊厳への侵害として厳しく禁止し、犯罪化する以上、他者の身体や性を金銭で一方的に利用する「買春」行為についても、女性や弱者に対する構造的な暴力・搾取として犯罪化してこそ法的な整合性が保てるのである。

 これら「尊厳の不可侵性」と「構造的な搾取の否定」の理念を政策として具体化したのが、 スウェーデン等で実際に導入された需要側処罰モデル、すなわち北欧モデルである。北欧モデルは、売る側を被害者として非犯罪化しながら、需要を創出する「買う側」を処罰することで性売買市場そのものを縮小・消滅させることを目指している。したがって、この立場からは、臓器売買を禁止しつつ売買春を合法化(非犯罪化)することは、耐えがたい論理的矛盾であるとされるのである。

5.臓器売買と性売買は別問題(1):身体的性質の差異と労働権の保障

 ニュージーランドの「売春改革法(2003 年)」などに代表される非犯罪化モデルを支持する立場は、成人間の合意に基づく性売買を道徳の文脈や構造的暴力としてではなく、「労働(セックスワーク)」の枠組みで捉えている。この見地に立てば、売買春は、マッサージや介護などの肉体労働と同様に、自らの時間や身体的機能、技術を一時的な「サービス」として他者に提供する行為だとされるが、臓器売買は、人間の生命維持に不可欠な身体組織を物理的に摘出するものであり、取り返しのつかない自己破壊と健康への決定的なリスクを伴う行為である点が特徴である。つまり、売買春は、身体組織そのものの不可逆的な譲渡や物理的な切り売りとは決定的に異なるのである。

 したがって、生命や健康の基盤を直接的かつ不可逆的に破壊する危険のある臓器売買を犯罪として禁圧しつつ、身体の機能を一時的なサービスとして提供し得る売買春については合法化(非犯罪化)し、一般の労働法や公衆衛生法の保護下に置くことは、両者の身体的および性質的な差異に基づく合理的な区別であり、理論上何ら矛盾を生じないとされる。

6.臓器売買と性売買は別問題(2):ハームリダクション

 さらに、法規制の意義を、「現実の当事者の生命・身体の保護と被害の防止」、すなわちハームリダクション(害の最小化)[1]という観点から考えた場合、臓器売買の禁止と売買春の合法化は完全に両立するとされる。

 [1] ハームリダクション(Harm Reduction)とは、薬物使用や売買春といった健康被害や法的リスクを伴う行動について、その行動自体を直ちに禁止・根絶することを目指すのではなく、その行動から生じる健康・社会・経済的な悪影響を軽減することを主眼とする政策や実践を指す。ハームリダクションは、単なる「妥協」ではなく、個人の生存権を保障し、同時に感染症の蔓延防止や犯罪減少といった社会全体の利益を守るための、極めて合理的な公衆衛生戦略である。刑事政策学においても、厳罰化による抑止効果の限界が指摘される中でその重要性が再評価されている。

 臓器売買を自由市場に委ねて合法化した場合、貧困層から富裕層への臓器の搾取が堂々と行われ、当事者の健康や生命に対する実害が甚大なものとなる。これを防ぐためには、厳格な「犯罪化(禁止)」が不可欠であり、かつ最も有効な手段である。

 しかし、売買春(特に性的サービスの需要側)に対して「犯罪化(処罰化)」というアプローチをとった場合、現実には当事者保護とは全く逆の悲惨な結果をもたらすことがすでに実証されている。買春者を処罰する北欧モデルを導入した国々では、性売買市場が消滅するのではなく実質的に「地下化(アングラ化)」することが確認されている。買う側が逮捕や摘発を恐れる結果、人目につかない場所や方法での交渉が求められ、売春を行う側は相手の身元確認や安全確保のための手段と時間を奪われる。カナダ最高裁のベッドフォード判決のように、過度な規制や勧誘の禁止は、セックスワーカーが自身の安全を確保する機会を阻害し、身体の安全に対する権利を侵害する違憲なものであると判断された例もある[2]。

 [2] Canada (Attorney General) v. Bedford(https://decisions.scc-csc.ca/scc-csc/scc-csc/en/item/13389/index.do)

 2013年のカナダ最高裁によるベッドフォード判決は、売春の周辺行為を禁じる当時の刑法規定を、「権利及び自由に関するカナダ憲章」第7条が保障する「身体の安全」を侵害するとして違憲とした画期的な判決である(手塚崇聡「売春規制における『メイド・イン・カナダ』モデルと憲法上の問題」陶久俊彦編著『性風俗と法秩序』、109頁)。当時カナダでは売春自体は合法であったが、売春宿の経営やボディーガードの雇用等の周辺行為が禁止されており、これが売春従事者から安全確保の手段を不当に奪っていた。最高裁は、合法な行為に従事する者の安全を法律自体が脅かしている点を違憲と認定した(同上、113-114頁)。その後、カナダ議会は2014年に買春行為のみを処罰する新法を制定したが、これも取引の地下化を招き当事者を危険に晒すため合憲性に疑問が残る(同上、120-128頁)。本判決は、法規制が現実に働く人々の安全を不当に脅かしてはならないという「ハームリダクション」の理念を憲法上承認した点で、極めて重要な意義を持つ。

 しかし、2014年に制定された「保護対象コミュニティおよび搾取された者の保護法(PCEPA)」に基づく刑法の新規定(第 286.2 条:有形利益受領罪、第 286.3 条:周旋罪)の合憲性が争われた2025年7月24日のクルバコフ事件判決( R.v.Kloubakov)(https://decisions.scc-csc.ca/scc-csc/scc-csc/en/item/21132/index.do)では、カナダ最高裁判所は、これら 2 つの規定がカナダ権利自由憲章第7条(生命、自由、身体の安全)を侵害しないとして、合憲判決を下した。本判決は、需要側を犯罪化しつつ供給側の安全措置を容認する「北欧モデル」を法理的に追認したものであるが、性風俗取引における「搾取の防止」と「個人の安全」の調和を図った重要な先例といわれている。

 また、買う側を処罰することによって風俗店の利用客が減少し収入が断たれると、当事者は生活を維持するために「逮捕リスクを顧みない悪質な客」を受け入れざるを得なくなるというリスクもある。その結果、避妊具の不使用や無理な行為の強要、さらには身体的暴力といった理不尽な要求に対して抵抗する交渉力を失うのである。加えて、警察が買春者を取り締まるために現場を監視することは、結果として当事者自身を警察の保護や司法システムから切り離してしまう。違法営業や不法滞在の発覚を恐れる当事者は、悪質な業者や顧客から暴力を受けても警察に通報することができず、これが加害者の不処罰を助長し、当事者をより危険で抑圧的な労働環境へと追いやる「事実上の犯罪化」を招いている。アムネスティ・インターナショナルやWHOなどの国際機関は、性産業で働く人々の人権を守り、暴力を防ぐための最善の道は「完全な非犯罪化(合法化)」であると提言している。

 つまり、「現実の当事者をより危険な状況へ追いやらず、安全と健康を守る」という全く同一の人権保護(ハーム・リダクション)の目的に照らしたとき、不可逆的な健康搾取を招く臓器売買には「犯罪化(禁止)」が要請されるが、地下化による暴力被害リスクを排除すべき売買春については、むしろ「非犯罪化(合法化)」によって安全網(警察・司法・医療へのアクセス)を確保して当事者を労働者として保護するという結論が導き出される。このような視点に立てば、両者は矛盾するどころか、人権擁護という共通目的を達成するための最適な政策として両立しうるのである。

7.日本における買春処罰化の議論と法体系の課題

 1956年に制定された売春防止法は、「売春は人としての尊厳を害する」と宣言しつつも、単純な売買春行為自体には刑事罰を設けない「罰則なき禁止」という特異な構造を維持してきた。しかし、この法律は、路上での客待ちや勧誘を行った「売る側」の女性を処罰の対象とし、需要を創出する「買う側」の男性を処罰しないという構造的な非対称性を抱えており、事実上の買春容認状態を生み出してきた。この不平等性を是正するため、法務省において買う側の処罰(買春罪の導入)を含めた見直しの議論が開始された(法務省:売買春に係る規制の在り方検討会)。

 しかしそこには、日本法に独特の法体系における矛盾が存在している。売春防止法が禁じる「売春」は、判例上「男女間の膣性交」のみに限定されていて、その結果、いわゆる疑似性交などの性的サービスは、風営法(風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律)の下で「合法」とされ、巨大な性産業を形成しているのである。さらに、個室付き浴場業(いわゆるソープランド)のように、実質的に性交が行われていることが公然の秘密でありながら、風営法の枠内で適法な営業として許可されている業態も存在する。このような法体系の根本的な矛盾を放置したまま、単に買う側への罰則を導入することは、現場に大混乱をもたらし、今は適法産業として働く労働者の生活基盤を直撃し破壊する懸念が極めて強い。

 さらに深刻な懸念は、抽象的な「尊厳」を名目に、現場で働く当事者の声が無視されたまま、密室での拙速な法規制が進められることである。2022年に制定された「AV出演被害防止・救済法(AV新法)」は、出演被害を防ぐという目的の下で当事者(AV女優や制作現場)の意見を十分に聴取せずに短期間で成立した結果、適法に事業を行おうとするメーカーに過度な負担が課され、多くの女性が適法な労働機会と収入を奪われた。その結果、彼女たちはより危険を伴う「同人AV」や海外の地下市場(出稼ぎ売春など)への流出を余儀なくされたのである。

 「私たち抜きに、私たちのことを決めないで」(Nothing About us without us)というスローガンは、性産業で働く当事者たちにとっても切実な叫びである。買春規制が「AV新法の二の舞」となれば、福祉の支援が届かない女性たちの「自己決定」や生存の手段を奪い、より危険で孤立した状況へと追いやることになるだろう。

8.まとめ

 そもそもある行為について倫理的に議論することが適切であるかどうかと、その行為を刑事法の対象とするかどうかとは全く別の問題であり、倫理的非難がそのまま犯罪化の根拠にはなり得ない。倫理的確信に基づく行為が他者に対して具体的な危害を及ぼさない場合にまで、国家が「善」を強制して干渉を行うことは、過剰な「パターナリズム」であり正当化されない。社会倫理的に非難されうるという判断と、それを国家が刑法的に規制可能かということは、問題の次元が異なるのである。

 売買春について、それが成人間で完全な合意に基づいて行われ、他者にいかなる実害ももたらさないのであれば、かりにそれが社会の多数派から「人間の尊厳を害する」と見なされるとしても、それだけで刑法による処罰は正当化されない。単に一定の倫理観を維持するような犯罪類型は極力排除されなければならないし、買春者の処罰によって市場の地下化を招き、当事者から安全確認の機会は法的保護へのアクセスを奪い、かえって生命や身体に対する暴力を助長するのであれば、そのような法制度は人の尊厳を擁護しているとはとても言えない。

 売買春の規制について、倫理的問題(道徳や人間の尊厳に関する評価)と現実の政治的な判断(国家権力による規制の是非と副作用の考量)を区別して論じることには何の矛盾もない。問題は、法と道徳を融合させる「道徳的パターナリズム」や「リーガル・モラリズム」の誘惑を退けて、脆弱な立場にある者の現実の人権をいかに守るのかという、実効性ある制度設計なのである。(了)

【主要参考文献】

  • SEXUAL RIGHTS PROJECT『新版 買売春解体新書~近代の性規範からいかに抜け出すか』(柘植書房新社、2020年)
  • SWASH 編『セックスワーク・スタディーズ―当事者視点で考える性と労働』(日本評論社、2018年)
  • 橋爪真吾『「身体を売る彼女たち」の事情 自立と依存の性風俗』(ちくま新書、2018年)
  • 橋爪真吾『見えない買春の現場「JK ビジネス」のリアル』( ベストセラーズ、2017年)
  • 陶久利彦編著『性風俗と法秩序』(尚学社、2017年)
  • 上野千鶴子・宮台真司『買売春解体新書』(柘植書房新社、1999年)
  • 川村邦光『セクシャリティの近代』(講談社選書、1996年)
  • 江原由美子編『性の商品化』(勁草書房、1995年)
  • Amnesty International, Amnesty International Policy on State Obligations to Respect, Protect and Fulfil the Human Rights of Sex Workers, 2016.
  • UN General Assembly, Protocol to Prevent, Suppress and Punish Trafficking in Persons, Especially Women and Children, Supplementing the United Nations Convention Against Transnational Organized Crime (Palermo Protocol), 2000.

[北欧モデルについて]

  • Levy, J. (2014). Criminalising the Purchase of Sex: Lessons from Sweden. Routledge.
  • Raymond, J. G. (2013). Not a Choice, Not a Job: Exposing the Myths about Prostitution and the Global Sex Trade. Potomac Books.
  • Swedish Ministry of Justice, SOU 2010:49 “The Ban against the Purchase of Sexual Services: An Evaluation 1999-2008”

[ニュージーランド・モデルについて]

  • Abel, C., Fitzgerald, L., & Healy, C. (Eds.). (2010). The Sex Industry: Lines, Lives and Locations . University of Otago Press.
  • Report of the Prostitution Law Review Committee on the Operation of the Prostitution Reform Act 2003 (2008)
  • Prostitution Reform Act 2003 (New Zealand Legislation)

[web 資料]

〈外務省〉

 国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約を補足する人(特に女性及び児童)の取引を防止し、抑止し及び処罰するための議定書(略称 国際組織犯罪防止条約人身取引議定書)(https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/treaty162_1.html)

〈法務省〉

 売買春に係る規制の在り方検討会(https://www.moj.go.jp/keiji1/keiji12_00223.html

【追記】

本稿は、2026年4月24日に開催された一般社団法人映像実演者協議会の第二回院内勉強会で配布した資料に加筆修正したものである。

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